おもに江戸時代に作られ、今も伝えられている「古典落語」。
落語家が表情と小道具だけで聞かせるはなしには、生活していく上で大切なことが語られています。

 根津ねづ(現在の東京都文京区)の清水谷しみずだに萩原新三郎はぎわらしんざぶろうという美男の浪人ろうにんがいた。ある時、なじみの医者に誘われて、柳島やなぎしま飯島平左衛門いいじまへいざえもんの別荘を訪ねると、美しい一人娘、おつゆが女中と住んでいた。新三郎とお露は互いを一目見るなり激しい恋に落ちる。お露は新三郎の帰りぎわ、「また来てくださらなければ私は死んでしまいます」と言ったが、内気うちきな新三郎はなかなか会いに行くことができない。やがて、恋わずらいでお露が亡くなり、女中も看病疲れで亡くなったという知らせが届いた。

 お盆の十三日の夜、新三郎が月を眺めていると、カランコロンと下駄げたの音がする。見ると、牡丹がらの灯籠をげた女中とお露が歩いてくる。生きていたのかと喜ぶ新三郎。二人は毎夜会うようになる。

 七日目の夜、萩原家の下男、伴蔵ともぞうが新三郎の部屋をのぞくと、腰から下がないお露が新三郎にかじりついている。驚いた伴蔵が裏長屋に住む占い師に相談すると、お露は幽霊で、このままでは新三郎は死ぬと言う。気味が悪くなった新三郎はお露の家を探しに行くが、どこにもない。途中、牡丹灯籠が置かれた新しい墓を目にし、お露が幽霊だったと知る。新三郎が寺の和尚おしょうにもらった死霊除しりょうよけのお札を家に貼ると、お露は家に入れなくなった。

 しかし、お露は新三郎に会いたくてたまらない。百両を渡すからお札をはがしてくれと伴蔵に頼み込む。金に目がくらんだ伴蔵はお札をはがしてしまう。翌日、新三郎は死体となって発見された。

マンガ:藤井龍二

死んでも忘れられない新三郎への恋心を抱えて、カランコロンと今夜もやってくるお露の幽霊。せつなくて怖ろしい、夏の夜の怪談噺です。

死んだ人間より、生きている人間のほうが怖い?

 「怪談牡丹灯籠かいだんぼたんどうろう」は、幕末から明治にかけて活躍した落語家・三遊亭圓朝えんちょうの作品です。全部で二十二章あり、全章を通して演じると三十時間はかかるという大長編。奇数章と偶数章では違うドラマが進行し、ラスト近くで一つにつながる複雑なつくりになっています。

 今回紹介したのは、「お露新三郎」と「お札はがし」という、偶数章のエピソードの一部。新三郎が死んだ後も話は続き、裏切った下男・伴蔵の話になっていきます。同時に奇数章では、お露の父親とその家来の仇討あだうち話が展開。ジェットコースター式に話が展開する連続ドラマのようです。

 三大怪談噺の一つに数えられる「怪談牡丹灯籠」ですが、幽霊が出てくる場面は少なく、悪のやみに落ちる人間ばかりが描かれています。なのに、なぜ題名に「怪談」とつけられているのでしょうか。

 圓朝は、人がうらやむ才能の持ち主。嫉妬しっとから嫌がらせをされることも多く、時には師匠からも不当な扱いを受けていました。そうした体験から、本当に怖いのは人間なのだと伝えたかったのだと思います。最終章では、悪は滅び、正義が勝つヒーローもののようにあっけなく終わります。人間の怖さを知ると同時に、善を信じたかったのかもしれません。

幽霊になるほどの恋心って?

 幽霊といえば、くやしくて祟る「うらめしや〜」が定番ですが、「牡丹灯籠」のお露は、ただ恋しいという思いで新三郎の前に現れます。なぜ、ただ一度会っただけの相手にこれほど恋い焦がれるのでしょう? 新三郎に死霊除けのお札を授けた和尚が次のように言うシーンがあります。

 「三世も四世も前から、ある女がお前を思って生き変わり死に変わり、かたちはいろいろに変えてつきまとっている悪因縁があって、どうしてものがれられない」。

 つまり、お露の魂は前世のはるか昔から新三郎の魂に執着していた。だから、焦がれ死ぬほどの恋をして、死んだ後も幽霊になってつきまとったのです。

 苦しみのもとになる執着心は、上手に手放したほうがよさそうですね。

「牡丹燈記」という元ネタがあった

 三遊亭圓朝が「怪談牡丹灯籠」を創作したのは1861年。中国・明の時代に書かれた怪談小説「剪燈新話(せんとうしんわ)」に収録された「牡丹燈記」、その翻案の「伽婢子(おとぎぼうこ)」から着想を得たといわれています。翻案とは原作の内容を生かして改作することで、圓朝には翻案した作品が「牡丹燈籠」の他にも「死神」「名人長二」など数多くあります。

 さて、「牡丹灯籠」と「牡丹燈記」では、ヒロインの性格に違いがあります。「牡丹灯籠」のお露は、つねに女中に頼ってばかりで、主体的に行動を起こしません。一方、「牡丹燈記」のヒロインは、自ら相手を誘うなど大胆で積極的です。これは、当時の日本と中国の、女性の社会的地位などが関係していると考えられます。

日本の速記本第一号

 1884年、圓朝の高座でのしゃべりをそのまま文字にした「怪談牡丹灯籠」が出版されました。これが日本初の速記本であり、大ブームを巻き起こしました。生で見るしかなかった圓朝の語りが読めるようになったのです。

 圓朝の速記本は文学界にも影響を与えました。明治時代まで文学は書き言葉である文語体が使われていましたが、話し言葉の口語体が使われるようになったのです。作家の二葉亭四迷が圓朝の速記本を参考にし、言文一致体で「浮雲」を書いたのは有名です。

 ゴルフを始めました。以前から父とやりたいと思っていたのですが、ゴルフはお金持ちの遊びという印象があり、なかなか始められませんでした。でも、調べてみたら思ったほど高くない。体を動かすから健康にもいいし、これはやるしかないと。最近はゴルフをしながら落語の稽古もしています。何をブツブツ言っているんですか、と不審がられることもしょっちゅうです(笑)。

 そして、夏といえば「怪談牡丹灯籠」の公演です。最近はライフワークのようになってきて、楽しみにしてくださるお客さんも増えています。

 私の「牡丹灯籠」は、通しで30時間はかかる全編を2時間半で演じきるので、それはもう大変。登場人物が多い噺なので、最初に人物相関図を使った説明から入り、新作づくりで鍛えた編集力をフルに使って、お客さまに喜んでもらえるよう頑張っています。

三遊亭わん丈の落語
『全編通し 牡丹燈籠』

日本橋社会教育会館 八階ホール
2025年8月7日(木)13時開演

三遊亭さんゆうていわんじょうさん
1982年、滋賀県生まれ。2011年、三遊亭圓丈えんじょうに入門。2024年3月、真打ち昇進。ネタ数は約250席。古典から自作まで幅広いネタを持つ。古典と自作の両方で多くの賞を受賞。保育園や小中学校で行う「学校寄席」はライフワーク。
https://www.sanyutei-wanjo.com/

写真:中村嘉昭 マンガ:藤井龍二

※この記事は『ETHICS for YOUTH』2025年夏号(No.10)に掲載したものです。
※コラムはウェブオリジナルです。