おもに江戸時代に作られ、今も伝えられている「古典落語」。
落語家が表情と小道具だけで聞かせる噺には、生活していく上で大切なことが語られています。

えち松山村まつやまむらしょうすけという男がいた。正助は正直者で親孝行。死んだ父の墓参りを18年間毎日続けている。これがおかみの目に留まり、ほうびをもらえることになった。お殿様に何がほしいか聞かれた正助は「死んだ父親に会わせてほしい」と答える。困ったお殿様は、正助の顔が父親にそっくりだと聞いて、鏡を与えた。鏡を見た正助は、そこに映った自分を亡き父親と思って大感激。松山村には鏡がなく、正助は生まれて初めて鏡を見たのだ。

お殿様から「他の人には決して見せないように」と言われ、鏡を持ち帰った正助は、正直につづらに鏡をしまい込み、毎朝、隠れて拝むように…。それを見た、やはり鏡を知らない女房とそうが大騒動を引き起こす……。

マンガ:藤井龍二

落語のツボ

この落語は、古代インドの昔話が民話や落語として語り継がれたもの。「死んだ父親に会わせてほしい」だなんて普通に考えたら無茶な話です。しかし、お殿様は考えたんですね。正助の住む松山村には鏡がない。しかも、正助はほうびをもらうほどの正直者。鏡を見せれば父親だと思うのではないかと。

この読みは当たり、正助は初めて鏡をのぞきこみ、自分の顔を父親と勘違かんちがいし、感動して泣き出すやまになります。お殿様、あっぱれです。

さて、この鏡ですが、昔は銅や鉄などの金属を磨いて、そこに顔を映していました。とても貴重なものだったため、庶民しょみんには無縁なもの。鏡に死んだ父の面影を見ることができた正助は、さぞうれしかったでしょう。

この落語の見どころは、正助、正助の女房、尼僧(女性のお坊さん)と鏡を知らない3人を演じ分けること。扇子を鏡に見立てて、表情豊かにそれぞれを演じます。この落語を聞くときは、そんなところにも注目してください。

現代の視点で聞いてみよう

「松山鏡」には、鏡を知っているお殿様と
鏡を知らなかった庶民が描かれています。
この鏡を「文化」という言葉に置き換えてみましょう。
そこには現在の私たちにも通ずる教えが含まれていることに気づきます。

例えば、日本の多くの学校では、生徒たちが教室をそうじしますが、
海外にはそうした習慣はありません。
日本では当たり前の文化が、海外にはないということがあります。
もちろん、逆のパターンもありますよね。

つまり、自分の常識が絶対正しいと思わないほうがよいということです。
経験の少ない10代のうちは、見ている世界は小さいもの。
世界は広いのですから、もしかしたら違う文化や考えがあるかもしれない。
自分とは別の考えや文化を受け入れる余地を残しておく。
そうした姿勢を持っていれば、初めての体験をした時にも
落ち着いて対応できるかもしれません。

三遊亭さんゆうていわんじょう
1982年、滋賀県生まれ。2011年、三遊亭圓丈(えんじょう)に入門(圓丈没後、天どん門下)。16年、二ツ目昇進。23年、彩の国落語大賞受賞。24年3月下旬から真打ち昇進披露興行が決定している。落語協会では12年ぶりの15人抜きでの「抜てき真打ち」となる。
https://www.sanyutei-wanjo.com/

写真:石山勝敏

※この記事は『ETHICS for YOUTH』2023年春号(No.1)に掲載したものです。