私たちはネットやスマホのある情報産業社会に
生まれた。かわいいもの、おしゃれなもの、
最先端のものは全てメディアが教えてくれるけれど……。
この時代の「未来」をよいものにしていくためには
何を大事にすればいいんだろう。
心のありかを考えよう
人型AIロボット・クララと少女ジョジーの友情の物語『クララとお日さま』には、そう遠くない未来の人工知能社会が描かれている。遺伝子操作によって病弱になってしまったジョジーのために、母親はジョジーとクララの脳の中身を入れ替える計画を立てる。しかしこれはうまくいかない。脳を入れ替えても心は移らなかったんだ。じゃあいったい、心ってどこにあるのだろう?
クララが教えてくれるのは、心は脳とか心臓のあたりにあるんじゃなく、人と人の間に生まれるものだということ。人と物の間にも心は生まれる。掃除ロボットもだんだんペットみたいになってくるし、君が好きなカメラやピアノとの間にも愛着というような心が生まれるだろう? 人間はそういうコミュニケーション能力を持っているんだ。
自由な時間の大切さ
『モモ』は、時間泥棒から時間を取り戻した女の子の話。資本主義社会の核心を分かりやすく描いている。
人間の時間を盗んで生きる灰色の男たちの嘘で、人々は時間の節約を始める。灰色の男たちはまた、その人にしかできない仕事から人々を引き離し、単純な仕事に就かせて効率を優先させる。資本主義のサイクルに取り込まれて、心が冷え切った人々を、よい方向に導いていくのがモモだ。モモは聴く力を持った女の子。マイノリティーともいえる人たちを迎え入れ、話を聴き、よく生きるヒントを与えてくれる。
今の情報産業社会の灰色の男たちは、あらゆるメディアだ。『モモ』で灰色の男たちが奪った時間は労働時間だが、メディアが奪うのは自由な時間。僕たちは目的物にとても早く到達できるようになったのに、なんだか忙しくていつも疲れているのは、メディアに自由な時間を奪われているからなんだ。
古代ローマの人たちには、otium(オティウム)という活動しない自由な時間があった。労働時間のnegōtium(ネゴティウム)ではなくオティウムが基本。今は「働いて休む」のが当たり前だから、休むのを基本に生きているオティウムの人は浮いてしまいがちだけれど、働き続けることが普通という社会のほうが異常なのだと知っていてほしい。
自分の意識が未来をつくる
近頃は、絵を描く時でさえ人工知能が描いてくれたりする。とても便利だけれど、自分にしかできないことなんか何もないような気がして、自分の能力の可能性を信じられなくなる。これってすごく怖いことだろう?
最近、週休3日を導入する企業が出てきている。2日間で体を休めたり、遊んだりし、3日目は自分のための自由な時間でクリエーティブな能力を養う。学校や部活や塾で忙しい人たちも、自分の時間を少しでも取り戻してみてほしい。できることなら家族との時間、友だちとの時間……人との時間をつくって心のありかを感じてほしい。
現代の時間泥棒たちが自由時間を奪いにかかってきてもコントロールできるように、自分を育てていかないといけない。それには考える時間を持ち、自分を客観視することが必要だ。まずはテレビやパソコン、スマホから離れて、空白の時間をつくってみよう。何もしなくてもいい時間に身を置くと、例えばお茶を飲んでいる時、「このお茶、おいしいなあ」だけじゃなく、「自分は今お茶を飲んでいる」と意識するようになる。未来をつくるというのは、自分が自分になる道筋をつくっていくこと。自分を意識することで、自分が自分になっていくんだ。
『クララとお日さま』
カズオ・イシグロ
(早川書房)
人型AIロボット・クララと
少女の友情の物語
『モモ』
ミヒャエル・エンデ
(岩波書店)
少女モモが灰色の男たちに
奪われた時間を取り戻そうとする
教えてくれたのは…
石田英敬
東京大学名誉教授。専門は、記号学、メディア論。東京大学教養学部教授時代から、文学作品などを取り上げながら中高校生に向けて情報産業社会を考える課外授業を行っている。『自分と未来のつくり方』(岩波ジュニア新書)などの著書がある。
※この記事は『ETHICS for YOUTH』2023年春号(No.1)に掲載したものです。