未来は今! ――10代のきみたちへ
旅、ことば、スポーツ、ロボット開発、社会の今を伝えるフォトジャーナリスト…。
さまざまな分野でキャリアを築いてきた先輩たちから、ユース世代へのメッセージ。
地球の広報・旅人・エッセイスト
たかの てるこ

自分の主人公は“自分”
学生時代はコンプレックスの塊で、人と比べては「私には得意分野もない…」と自分イジメばかりしていました。でも、生きていたら何かしら好きなことはあるはずで、「将来やりたいことがない」なんて本当は「ない」と思うんです。私は旅が好きだったものの、それが仕事になる訳がないと自分自身に“呪い”をかけていました。でも、この世界は好きなことや得意なことをシェアすることで成り立っている素敵な場所。「失敗を恐れず、興味を持ったことをやってみる!」でいいと思います。
私たちは子どもの頃から成績等で評価され、「人からの評価=自分の価値」だと思わされています。人からほめてもらうことが人生の目的になると、常に人の価値観に合わせて生きることになってしまう。なので、まず、自分で自分自身のことをほめてあげられるようになってほしい。遠慮しながら生きるのはやめて、自分の人生の主人公になってください!
たかの てるこ
「世界中の人と仲良くなれる」と信じ、世界を駆ける旅人。世界の魅力を伝えるラブ&ピースな「地球の広報」として幅広く活動する。大学の教え子の悩みから生まれた『生きるって、なに?』シリーズは現在4冊目になった。『ガンジス河でバタフライ』ほか著書多数。
www.takanoteruko.com
『生きるって、なに?』
(テルブックス)
杏林大学 外国語学部名誉教授
金田一秀穂

種をまけば、いつか芽を吹き、大きく伸びる
10代の頃は、毎日やみくもに焦っていて、何かになれるはずだと思いながら自分に何ができるのかちっともわからない状態で、できもしないことを望むのは恥ずかしかったし、どうしていいのか分かりませんでした。自分はおろかで何も知らないし、何もしたこともない。非力を感じ、でも絶望していたわけではなく毎日をやりすごしていました。
夢や目標を見つけるには、播種と言いますが、いろいろ本を読んだり人に聞いたり、種をまくことです。そのうちどれかが芽を吹き、運が良ければ大きく伸びます。なるべく広く、いろいろと種をまくことしかできないかなあ。後は幸運を待つ。
輝く未来があると思えるならそれは素晴らしいですが、なかなかそうは思えませんでした。時間がたつのを待つしかないと思って、そのうち焦りが消えていきました。 でも、輝くということもあまり考えなくていいのだと思いました。
10代の少年少女に言いたいのは、とりあえず、死なずに生きていくこと。大人になることはいいことです。
金 田一秀穂
1953年東京都生まれ。上智大学心理学科を卒業し、東京外国語大学大学院日本語学専攻課程修了。1988年から杏林大学外国語学部教授。メディアなどで日本語の魅力を広く伝えている。言語学者の京助は祖父、国語学者の春彦は父。『金田一先生のことば学入門』ほか著書多数。
元競泳日本代表
星奈津美

「好き」が夢につながっていく
小さい頃から水泳の才能があった訳ではなく、あまり向いていないほうだと思っていました。小学生の頃は県大会出場に必要な標準タイムもクリアできず「毎日練習しているのにかわいそう」と親が心配したくらい。でも「誰かと競って速くなりたい」というより「誰よりも長く泳いでいたい」というぐらい水泳が好きだったので、つらくはありませんでした。
転機になったのは、自分の得意な種目を見つけたこと。長い距離を泳ぐ持久力があったので、小学6年生の時に中学生の200メートルバタフライに出場させてもらったのです。すると、そこで初めて優勝。これをきっかけに、高校1年生でジュニア世界大会の代表に選ばれ、遠い「夢」だったオリンピックが「目標」に変わりました。
皆さんには、「勝ちたい」「活躍したい」という気持ちよりも、「好き」と思えるものを見つけてほしい。結果が出なくても楽しいと思えるはずだし、いろいろ挑戦し、自分が好きだと思うことを続けていけば、それが夢につながっていくかもしれません。
星奈津美
1990年埼玉県生まれ。1歳半から水泳を始め、高校3年生で北京五輪代表に選出される。16歳で患ったバセドウ病のため一時的に競技を離れたが、2012年ロンドン、16年リオデジャネイロ五輪200メートルバタフライで銅メダルを獲得。現在は講演などを通して自身の経験を伝えている。
ロボットクリエーター
高橋智隆

“モノ作り”が人生を切り開く
子どもの頃は、『鉄腕アトム』を読みロボット開発者に憧れ、一方で、野球や虫捕り、魚釣りなどで野山を駆け回っていました。モノを作ることが好きで、プラモデルを作ったり、釣りのルアーを自作したり。興味は移り変わっていきましたが、最終的にロボット工学の道へ進みました。
私たちを取り巻く技術はすごいスピードで進化し、10年後にどうなるかの予測すら難しいほど。私は、スマートフォンの未来は、小型のコミュニケーションロボットのような物になると考えています。すると私たちは、ロボットと愛着や信頼関係を築きながら情報やサービスを受け取ることが出来るはずです。
ロボットに限らず、科学技術の発展には負の側面もあります。しかし、過度に恐れて遠ざけたりせず、自分で判断できる科学リテラシーを身に付けてほしいと思います。そして、学んだことを実践してみてください。自分の手で実験したり試作したりすると、考えただけでは分からない新しい発見があります。皆さんが自ら舵を切り、人生を切り開いていくことを願っています。
高橋智隆
2003年京都大学工学部卒業と同時に「ロボ・ガレージ」を創業し、ロボット開発を行う。代表作はロボット電話「ロボホン」、ロボット宇宙飛行士「キロボ」、グランドキャニオン登頂「エボルタ」など。東京大学先端研特任准教授等を歴任し、現在株式会社ロボ・ガレージ代表取締役、ヒューマンアカデミーロボット教室顧問。
認定NPO法人Dialogue for People副代表/
フォトジャーナリスト
安田菜津紀

私たちはみんな地続きの世界に生きている
今、この世界で何が起きているのかを写真を通して伝えていくこと。それが、フォトジャーナリストの仕事です。私がこの仕事を志すきっかけになったのは、高校2年生の夏休みに、日本の友情レポーターとしてカンボジアを取材したこと。同世代の子たちが、命の危険にさらされている様子を見て、「自分に何ができるだろう」と考えるようになりました。答えを出せないままに、現地で撮った写真を同級生に見せていたら、ほとんど交友のなかった子が興味を持って話しかけてくれたんです。写真の力、伝えることの大切さを知った出来事でした。
遠い国で起こっていることを自分ごととして捉えるのは難しいこと。でも、国が違っても、私たちは地続きの世界に生きている。遠くの人の悲しみに気づけなければ、近くの人の悲しみにも気づけないと思うんです。
10代は多感な時期です。いろんなことに悩みながら、自分の目で世界を見て、学びや気づきを蓄積していってほしい。それらはきっと、生きていく上で大切な財産になるはずです。
安田菜津紀
国内外で貧困や災害、難民問題などを取材。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に被災地を取材、記録し続けている。著書に『写真で伝える仕事―世界の子どもたちと向き合って―』(日本写真企画)などがある。
イラスト:柴田純与/似顔絵:大津憲子
※この記事は『ETHICS for YOUTH』2023年春号(No.1)に掲載したものです。