きみに向かって話してる。電車に乗っても、バスに乗っても、とうとう自分の家に帰ってきてもまだ、なんとなく行く先がないような気がしているきみに。きみは髪を結んでる。だけど先生の目をぬすんですぐほどく。いつも自分が傷ついているような気がしているし、それを人には知られたくなくて、だけどわずかな人にだけは知ってもらいたくて、そして実際傷ついている。みんなが笑うところで自分だけが笑えないことがあるのを、半分は消えてなくなりたいほどみじめに、だけどもう半分は誇らしく思っている。

 きみはわたしだ。十六歳のわたし。わたしはこれから、ある時間にいたわたしに向かって話す。そうしてそれが、いまの時間にいる、わたしではないきみに話しかけることにもなるといいな、と思っている。

 現実に飽き飽きしたときほど、小説を読むのは楽しい。それは、書かれている架空の世界に浸ることで現実から逃避するためではない。むしろ反対に、いい物語を知ることは、もう見たくもないと思った現実をもう一度ほかの視点から見つめなおすための力をくれる。いい漫画も、いい映画も、いい演劇も同じだ。きみは安部公房『水中都市・デンドロカカリヤ』を読む。そして、まさにそういう力をもらう。物語には現実にはありえないものがたくさん出てくる。植物や魚に姿を変える人間、皮膚の色が変わる病、ある日家に入ってくる見知らぬ家族……しかしそれが、人間のある現実をあらわしているのだ。その物語がなければ見えなかったかもしれない現実を。そんなふうに物語は読むものに力をくれる。

『水中都市・デンドロカカリヤ』
こうぼう
(新潮文庫)

 もう一度人生をやりなおせるのなら、なによりもデヴィッド・フィンチャー『ファイト・クラブ』をもっと早く観たいと思う。だからきみには早く観てほしい。わたしはラブストーリーに興味がなさすぎて、テレビで見る映画のCMがどれもつまらなそうに見え、映画のおもしろさと出会うのがかなり遅くなってしまった。それでもはじめて『ファイト・クラブ』を観たときは、その場で巻き戻してはじめから見返した。それで、この映画をおもしろいと思える自分のことを、ちょっと好きになった。つまりなにが言いたいかというと、たしかにこの世界はきみのために作られてはいないけど、でもきみにぴったりあうものも、きちんと準備されているっていうこと。この映画を作った人も、二十歳のときわたしにこの映画を勧めてくれた人も、恩人だと思っている。

『ファイト・クラブ』
デヴィッド・フィンチャー
1999年製作/139分/アメリカ ディズニープラスの「スター」で配信中
©2025 20th Century Studios. All Rights Reserved.

 最後に。小説にも出会ったし、映画にも出会ったけれど、わたしは詩人になることに決めた。二十一歳のときだ。谷川俊太郎さんの『詩の本』を読むと、いつでも生まれ変わったような気分になれる。谷川さんは言う。「きみは毎朝毎晩死んでいいんだ/新しい詩を見つけるために」。ええっ?と思ったかもしれない。そういう、ふつうだと信じているものが突きくずされるような言葉に出会えるのが、詩のいちばんの魅力だ。だって、きみならきっとよくわかっている通り、みんながなんなく信じている「ふつう」ほど疑わしいものはないのだ。常識も、この世界や人生のことも、どうしてかある自分という存在のことも、詩ならかるがると、たった数ページ、読む時間で言うと二分か三分で疑うことができる。それが、たまらなくかっこいい。

『詩の本』
たにかわしゅんろう
(集英社)

 さて、きみはなんになるだろう?
そう言うとふしぎな気分になる、だってきみはいつかのわたしに似てる。そっくりだ。だけど矛盾しているとは思わない。きみはいつでもきみの予想を超えてきた。きみもこれからなにになってもふしぎじゃない。

 だから予想もつかない未来で会おうよ。そのための強さを芸術から、たくさんもらっておいでよ。

『とても小さな理解のための』(百万年書房)

さきさかくじらさん
詩人。1994年名古屋生まれ。「国語教室ことぱ舎」(埼玉県桶川市)代表。Gtクマガイユウヤとのユニット「Anti‒Trench」朗読担当。著書に詩集『とても小さな理解のための』(百万年書房)エッセイ集『ことぱの観察』(NHK出版)、『犬ではないと言われた犬』(百万年書房)、小説『いなくなくならなくならないで』(河出書房新社)ほか共著など。

イラスト:くぼあやこ

※この記事は『ETHICS for YOUTH』2025年春号(No.9)に掲載したものです。