おもに江戸時代に作られ、今も伝えられている「古典落語」。
落語家が表情と小道具だけで聞かせる噺には、生活していく上で大切なことが語られています。
木彫りの名人、左甚五郎が仙台を旅した時のこと。
「おじさん、宿を探しているならうちに泊まっておくれよ」と宿引きの子供に声をかけられた。行ってみると、「ねずみ屋」という名前の小さな宿屋だった。足腰の立たない父親と子供の二人でやっているという。何か事情がありそうだ……。
実はこの父親、仙台きっての大きな宿屋「虎屋」の主だったが、若くして妻を亡くしたのが運のつき。事故で腰が悪くなり、使用人に虎屋を乗っ取られ、物置小屋を宿屋にして、細々と生きているのだという。
話を聞いた甚五郎は、一晩かけて木片からねずみを彫り上げ、「福ねずみ」と名づけて店先に置いた。すると、福ねずみがチョロチョロ動くではないか。「さすが甚五郎の作だ」と評判になって、福ねずみ見たさの客が連日押しかけてくるようになった。ねずみ屋は大繁盛。虎屋には客が来なくなってしまう。怒った虎屋は、飯田丹下という甚五郎のライバルに大金を渡して虎を彫らせ、福ねずみをにらみつける位置に置いた。すると、福ねずみがピタリと動かなくなってしまった……。
この騒動を聞いて仙台に戻ってきた甚五郎。飯田丹下の虎を見たが、あまりいい出来とは思えない。福ねずみに聞いた。「あんな虎が怖いのかい?」
すると福ねずみが答えた。
「え、あれは虎だったの? 猫かと思った」
ボロボロの宿屋にヒーローが登場して困っている親子を救う。
最後のオチも見事にキマる人情噺の傑作です。
木彫りのねずみが動く?
落語ならではの奇想天外なストーリー
落語は笑い話を楽しむものですが、大笑いするだけではない心温まるいい噺もたくさんあります。「人情噺」というジャンルです。
「ねずみ」では、母を亡くした幼い子供が、腰の悪いお父さんと支え合って暮らしています。そんな親子を見て、ひと肌脱ぐのが、木彫り名人の左甚五郎。江戸初期に活躍した実在の人物です。当時、甚五郎が彫ったものならいくらでも出すという人が大勢いました。でも、甚五郎はお金のためには動きません。人助けをしたい一心で福ねずみを彫り上げる。弱き者のために立ち上がるヒーローなんです。
噺の後半では、怒った虎屋が甚五郎のライバル、飯田丹下に大金を渡して虎を作らせます。しかし、作品に彫った者の心が出てしまう。純粋な気持ちで彫った福ねずみに対して、虎屋の虎は邪念のかたまり。虎の風格がなく、猫に間違われるというオチにつながります。
聴きどころは、前半に子供がボロボロの宿へ案内する場面。そして、甚五郎の技で命を吹き込まれるねずみ。聴く側が宿やねずみのイメージをふくらませていく、落語ならではのストーリーです。
三遊亭わん丈
1982年、滋賀県生まれ。2011年、三遊亭圓丈(えんじょう)に入門(圓丈没後、天どん門下)。16年、二ツ目昇進。23年、彩の国落語大賞受賞。24年3月下旬から真打ち昇進披露興行が決定している。落語協会では12年ぶりの15人抜きでの「抜てき真打ち」となる。
https://www.sanyutei-wanjo.com/
写真:石山勝敏
※この記事は『ETHICS for YOUTH』2023年秋号(No.3)に掲載したものです。