「知る/分かる」という自然なことが、実は全然当たり前じゃないというのはしょうげきですね。研究者も「いろいろなことを知っている」と思われがちですが、実は研究の世界こそ「分からない」ことだらけ。でも、どんどん「分からない」を認めていけると、楽しくなっていくのかもしれません。

 今号のテーマは、「分かる/知る」こと。私たちは、普段いろんなことを「知っているつもり」です。でも、その一つ一つが本当かどうかや、「自分はどこまで分かっているんだろう」と疑問をもちながら生活することはあまりないかもしれません。むしろ、「10分で哲学について知れる本」とか、「分かりやすい講義」のような、「インスタントな知」がもてはやされることの方が圧倒的に多い感じがします。
 歴史という科目は、もっとも「知識」、つまり「知っている」かどうかを問われる感じがしますよね。その点、アイの問題提起はとても興味深いように思います。アイは歴史のテストで点数が良かったにもかかわらず、「自分が知っていることはわずか」だと言ったからです。むしろ、自分が知らないことをいろいろと挙げて、「知っていることに対して知らないことが膨大」と言っていたのでした。
 「自分が知らないということを知る」というマキの表現は、とても逆説的です。哲学では、「無知の知」という難しい言い方をすることもあります。確かに、それが分かれば、いろいろなことを知りたくなりますよね。むしろ、それを認めることで初めて、よりよく知ることができる。もっと言えば、いろいろな問いが自分の中に浮き上がってくるという心理的な効果があることは、興味深い発見です。
 とはいえ、分からない/知らないと言うことは、実は勇気のいることだというカイの主張もよく考えてみないといけません。自分の無知を認めるということは、自分の価値を下げることのような気がして、そう簡単ではないこともあります。むしろ、それを覆い隠すために、冷笑的になること、つまり「別にそんなことどうでもいいじゃん/知らなくてもいいんだよ」という態度を取る人もいます。
 しかしそれではきっと、何の解決にもならないですよね。何が分からないのかについて考えて問い合うこと、そしてそれが本来は「楽しい」こと。それがみんなの対話から見えてきたような気がします。

作・監修
堀越ほりこし耀介ようすけ

東京大学UTCP上廣共生哲学講座 特任研究員 / 独立行政法人日本学術振興会 特別研究員(PD)。東京大学教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。専門は、教育哲学・哲学プラクティスで、特にジョン・デューイの哲学思想、「子どもとする哲学(P4C)」/ 哲学対話の理論を研究。実践者としては、学校教育の場から、自治体・公共施設、企業・社員研修まで、幅広く哲学対話や哲学コンサルティングを行う。著書に『哲学はこう使う―哲学思考入門』(実業之日本社)、「哲学で開業する:哲学プラクティスが拓く哲学と仕事の閾」(『現代思想』(青土社)2022年8月号)などがある。

作・監修:堀越耀介 マンガ:佐倉星来

※このマンガは『ETHICS for YOUTH』2024年夏号(No.6)に掲載したものです。
※コラムはウェブオリジナルです。