「将来の夢」。よく聞かれるテーマですよね。でも、なぜ将来の夢を持ったほうがいいのか、そもそも夢って何なのか、誰も教えてくれません。そこには、しっかりとした「私」と「意志」があるのかどうかを疑ってみるのも悪くないように思います。すると、意外な自分の側面が明らかになるかもしれません。

 今回のテーマは「将来の夢・意志」。進路に迷っている。自分が何をしたいのか分からない。そもそも自分で決めるって? そんなことを考える上で、4人の対話は参考になりそうです。
 まず、マキのアイデアは興味深いですね。「完全に自分の、自分で決めた意志や夢なんて、そもそもない。社会や誰かによってそう思い込まされているだけで、結局私たちは、どこまでも環境に規定されている」という主張です。
 カイの考えもユニークですね。「そもそも夢なんて持たないほうがいいのではないか。それは自分の可能性を制限していくことではないか」というわけです。確かに、私たちは実にいろいろな可能性や機会が開かれています。しかし、夢を持つことで、他の可能性を見なくなってしまうということがあるかもしれません。
 あるいは、近年、人工知能やさまざまな技術の発展によって、従来あった仕事がなくなったり、機械に取って代わられたりする可能性が高いともいわれています。自分のなろうとした職業や獲得した能力がそうなってしまった時、「他のものでもありうる自分」の可能性を限定していたら困ってしまう。そういう意図もあったようです。
 そして、ここでより根本的な問題は、私たちは意志や夢という問題をどれくらい「自分」に還元していくかということです。
 その意味で、アキラの意見は突き抜けています。つまり、もはや個人ベースで考えるのをやめて、「私」ではなくて、むしろ「周囲や世界が私に何を求めるか」で考えたい。それこそが「自分らしさや夢、意志を形づくる」んだという考えですね。普通は、自分の意志や夢が明確にあって、それを実現していくと考えるわけですが、「人から求められる価値を実現する中で、それを自分らしさにしていく」――確かに、そういう考え方があっていいのかもしれません。
 しかし、最後のアイの考えは、また少し違っているようです。アイは、あくまで「自分自身の本来性、可能性」という元々の考え方を維持しようとしています。そして、「自分の人生には限り/区切りがある」こと、そこから逆算して「自分が何をしたいのか」と考えることで、自分の意志を見つめ直そうとしているようです。
 確かに私たちは、人生が何となく続くことを前提に、ダラダラと目標なく過ごしてしまうこともあります。しかし、区切りがあること、人生の有限さを認識することで、自分の本来性と向き合う。そういう考え方もいいですよね。

作・監修
堀越ほりこし耀介ようすけ
さん
東京大学UTCP上廣共生哲学講座 特任研究員 / 独立行政法人日本学術振興会 特別研究員(PD)。東京大学教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。専門は、教育哲学・哲学プラクティスで、特にジョン・デューイの哲学思想、「子どもとする哲学(P4C)」/ 哲学対話の理論を研究。実践者としては、学校教育の場から、自治体・公共施設、企業・社員研修まで、幅広く哲学対話や哲学コンサルティングを行う。著書に『哲学はこう使う―哲学思考入門』(実業之日本社)、「哲学で開業する:哲学プラクティスが拓く哲学と仕事の閾」(『現代思想』(青土社)2022年8月号)などがある。

作・監修:堀越耀介 マンガ:佐倉星来

※このマンガは『ETHICS for YOUTH』2024年秋号(No.7)に掲載したものです。
※コラムはウェブオリジナルです。