「どうして勉強するんだろう?」―誰もが勉強に向き合う機会があるのに、その理由はあまり考えられることがないかもしれません。そして、その問いを考える時には「何のために」「何を学ぶか」という目的や内容が問題になりがちです。でも、それを超えたところに何か面白い考えがあるかもしれません。

 今回のテーマは「勉強」。多くの人が経験する勉強や学校を考える上で、4人の対話は「教育」をめぐる議論や思想のさまざまな立場を象徴しています。勉強の良し悪しはともかくとしても、なぜ勉強するのかというマキの問いは、確かに一度考えてみる価値がありそうです。
 まず、アキラの考え方は、一見とても正しそうに見える、教育についての伝統的な価値観だといえるかもしれません。大人になった時、たとえば仕事をする時に困らないように、人間の発達段階に合わせて一律的な教育が事前に決められている。それに沿って勉強していくのが子どもの仕事というわけです。
 しかし、「勉強する内容を誰が決めるのか」、「子どもが何を学びたいかはどうでもよいのか」というマキの問いにも、同じくらい重要性がありそうです。カイも同じように、その考え方では、子どものためというよりも「大人や社会のための教育」になってしまうのではないかという疑問を差しはさんでいましたね。
 それに対してアイの考え方はとても新しい価値観で、共感する人もいるのではないかと思います。つまり、子どもは自分の興味や関心のあるものに応じて勉強し、大人はそれをサポートする役に徹するべきだというわけです。そうすれば、受け身の勉強にならないだけでなく、ある程度は積極的に学ぶ意欲も出てきそうです。そして、学びたいものにたどり着くためには、その過程で当然いろいろなことを学ぶわけですから、完全に自己中心的になってしまうわけでもないのかもしれません。
 それでもアキラは、それが興味や関心以外からは学ばないことにつながることを危惧しています。そして、何かに備えたり、社会で生きるために必要とされる知識があって、それはある程度大人が決めるものなのではないかと考えています。カイは少し違う考えのようですが、やはり最低限の教えるべき知識や大切な価値観があるかもしれないと考えているようです。しかし、特定の価値観を教えるのは正しいのか、それこそ誰がそれを大切な価値観だと決めるのかは、学校でどんな知識を教えるか以上に難しい問題になりそうですね。
 最後にアイは、みんなの考え方を受けて、ちょっと特殊な考えを打ち出しているように見えます。勉強の目的や内容という視点から考えるのを、いったんやめているのです。そして、勉強を「自分とは異なるものとの出会い」であり、その意味とは、自分と向き合うこと、自分の在り方を問い直すこと、自分を知ることそれ自体にあるのではないかというのです。とてもユニークな考え方ですが、皆さんはどのように考えましたでしょうか。

作・監修
堀越ほりこし耀介ようすけ
さん
東京大学UTCP上廣共生哲学講座 特任研究員 / 独立行政法人日本学術振興会 特別研究員(PD)。東京大学教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。専門は、教育哲学・哲学プラクティスで、特にジョン・デューイの哲学思想、「子どもとする哲学(P4C)」/ 哲学対話の理論を研究。実践者としては、学校教育の場から、自治体・公共施設、企業・社員研修まで、幅広く哲学対話や哲学コンサルティングを行う。著書に『哲学はこう使う―哲学思考入門』(実業之日本社)、「哲学で開業する:哲学プラクティスが拓く哲学と仕事の閾」(『現代思想』(青土社)2022年8月号)などがある。

作・監修:堀越耀介 マンガ:佐倉星来

※このマンガは『ETHICS for YOUTH』2024-25年冬号(No.8)に掲載したものです。
※コラムはウェブオリジナルです。