「平等は良いこと」と思われがちですが、実際にはとても複雑です。みんな同じ扱いにするのと、それぞれの状況に応じた配慮。機会の平等と結果の平等。現代社会では、「格差の問題」としても議論されますが、実際にどのような状態が良い平等・公平だといえるのでしょうか。是非、考えてみてください。

 今回のテーマは「平等」。地域のボランティア活動に参加した4人が、活動後のお菓子の配布をきっかけに、「平等とは何か」「平等と公平との違い」について考えていきました。

 冒頭で描かれたシーン——みんなが同じだけお菓子をもらう——は、一見すると理想的な対応のようにも思えます。しかし、マキが指摘したように、実際の作業量や貢献度は人それぞれ異なります。ここで浮かび上がるのは、「形式的な平等」と「実質的な公平」の違いです。
 車椅子と階段の例は、この違いを分かりやすく示しています。どんな人にも「同じ階段を使ってもらう」のは形式的には平等かもしれませんが、明らかに不公平です。

 さらに複雑なのは、マキとカイが議論していた「自己責任の境界線」の問題です。カイの腰痛は、姿勢が悪いのを正していないという努力の側面もあれば、元々の体質的な要因があるのかもしれません。どこまでが個人の責任で、どこからが仕方のない条件なのか——この線引きは、現代社会の格差問題を考える上でも重要な視点です。

 アキラのいう「努力しなくてもよくなってしまう」という懸念も、とても重要です。環境や条件の違いを重視しすぎると、個人の努力や責任を軽視することにつながりかねません。一方で、マキが指摘するように「努力すればなんでもできる」という考えも、個人のせいではないことまで個人のせいにするような、過度な自己責任論につながる危険があります。

 「努力することがよくないことだ」と考える人は少ないかもしれません。しかし、「努力」というものによって、どのように個人が評価され、社会が設計されるべきなのかということは、よく考えてみないといけません。アキラが提案しているのは「公平な役割分担」を目指す考え方ですし、アイの「努力すること自体に意味がある」という指摘も、過度にその結果に注目しない見方を示している点で、とても示唆的です。もしかすると、努力は、努力する対象への直接の結果とは独立した価値を持つのかもしれません。

 「平等が大事」、「公平は大切」、「努力すべき」――簡単にそう言ってしまう前に、それぞれの関係がどうなっているのか、本当にそうなのか、どういう平等や公平、努力であれば評価すべきなのかということを考えてみると、意外なことが分かるかもしれません。

(構成:編集部)

作・監修
堀越ほりこし耀介ようすけ
さん
東京大学UTCP上廣共生哲学講座 特任研究員 / 独立行政法人日本学術振興会 特別研究員(PD)。東京大学教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。専門は、教育哲学・哲学プラクティスで、特にジョン・デューイの哲学思想、「子どもとする哲学(P4C)」/ 哲学対話の理論を研究。実践者としては、学校教育の場から、自治体・公共施設、企業・社員研修まで、幅広く哲学対話や哲学コンサルティングを行う。著書に『哲学はこう使う―問題解決に効く哲学思考「超」入門』(実業之日本社)、「哲学で開業する:哲学プラクティスが拓く哲学と仕事の閾」(『現代思想』(青土社)2022年8月号)などがある。

作・監修:堀越耀介 マンガ:佐倉星来

※このマンガは『ETHICS for YOUTH』2025-26年冬号(No.12)に掲載したものです。
※コラムはウェブオリジナルです。