日本女子体操の中心選手として活躍してきた村上茉愛さん。
得意種目はゆか。東京2020オリンピックでは、1分30秒の間、明るい笑顔とダイナミックな演技で多くの人を魅了しました。
現在は、次世代を担う体操選手の指導に励んでいます。
明るい笑顔とはじけるような演技で日本女子体操界を引っ張ってきた村上茉愛さん。東京2020オリンピックの体操女子種目別ゆかで、日本の女子で史上初となるメダル(銅)を獲得した演技は、「体操人生の中で一番いい演技」だったと言います。オリンピックという大舞台で、最高の演技をすることができたのはなぜでしょうか。
「ゆかは幼い頃から得意で、練習にかけている時間も多かった種目。段違い平行棒や平均台のように、落下や転倒の心配がない種目でもあります。だから思い切ってできるかというと、そうではない要素もあるんですけど。
実はオリンピックの時は、どんな結果になっても引退すると決めていました。できる努力は全てしてきたから、大丈夫。失敗しても仕方ない。そんな気持ちでした。いい意味で開き直ることで、本番で自分を解放できたのだと思います。
選手時代は、練習がうまくできなくてダメな時ほど、試合では心臓がバクバクしていました。いい練習を積んで、やれることが全部できた時は、いい緊張感を感じながら演技ができました。今は、指導者として、教えている選手が演技するのを見る側。祈るような思いで『頑張って!』と見守るので、今のほうがよほど緊張しています(笑)」
東京2020オリンピックでの演技
村上さんが体操を始めたのは3歳の時。でも、赤ちゃんの時から、先に体操を始めていた4歳上の兄と一緒に、マットで遊んでいたとか。小学校に入学時から池谷幸雄体操倶楽部に入り、小学6年生でH難度のシリバス(後方抱え込み2回宙返り2回ひねり)ができる天才少女がいると話題に。以来、体操界の第一線で活躍し続けてきました。しかし、体操をやめようと悩んでいた時期もあったと言います。
「2013年に初めて世界選手権に出た頃までは体操が楽しかったし、気持ちも前を向いていましたが、その頃から高校3年生にかけて、やる気を保てなくなっていたんです。
体操って、ほぼ毎日、同じ演技を何度も繰り返し練習する競技。他のスポーツなら練習でも毎回新しいシーンが訪れるのに、体操にはそういう面白さがないんです。いつでも100%同じように体を操らなきゃいけない。そこに成長期の体の変化や進学問題なども重なって、練習に身が入らない時期が続きました。今思えば、自分で自分を後押しすればいいだけだったんですけどね。それでも体操が好きなので、気づいたら体育館に行っていたり、離れたくても離れられない感じでした」
東京オリンピックでは自分史上最高の演技ができました。
その後の世界選手権でもメダルが取れ、引退セレモニーは大感激。
以前から考えていた指導者の道へ気持ちよく進みました。
そんな時、村上さんを奮い立たせてくれたのは、大学1年生で寮生活を送る中、出会った友人たちでした。
「日本体育大学はスポーツが強い大学。サッカーやラグビー、柔道をやっている友だちと接していると、初めて自分は普通なんだなと思えたし、いい刺激を受けたんです。だんだん体操も楽しくなり、体操以外のことも楽しいと思えるようになりました」
楽しいという気持ちは、時間の上手な使い方にもつながっていきました。
「選手時代は、オフの時はなるべく体操のことを考えず、映画に行ったり温泉に行ったりして、次の日が万全になるように過ごしていました。練習していない時間も体操のことを考えていると、ストレスやプレッシャーになるんです。オンの時は、練習後にその日のうちに反省して終わり。次の日に体育館に入る直前に自分で目標を決めるようにしたら、いい練習ができるようになりました。今は、どうしたら日本の体操が強くなるかとか、体操のことばかり考えていますが(笑)。
また、目標を達成するためにタイムスケジュールを組んで、優先順位を決めてやっていくと、気持ちも楽になって、集中力が増します。空いた時間に何かやろうかなと思えたり、自分と向き合える時間にもなります。
指導してくれた先生からも、逆算して考えるといいとアドバイスをいただき、五輪でメダルを取るための4年単位でのプランを1年単位にし、その1年を12カ月分で考え、それをさらに1日で考えると、どんな練習をすればいいかが見えてきます。そうやって考える癖がついているので、普段の生活でもいろいろなことが苦ではなくなりましたね(笑)。見えていなかった自分が見えてくるのは気持ちいいです」
計画を立てて時間を使うと、知らなかった自分も見えてきます
「中高生の皆さんに言いたいのは、『あきらめないで、いろいろなことに興味を持ったほうがいい』ということ。10代って、なんでも吸収できる時期。大人になってからではできないこともたくさんあるので、夢があるなら、あきらめないで追求してほしい。興味がないことでも、やってみると自分に向いているものが分かったりするから、いろいろなことに挑戦していってほしいですね。
私が大事にしているのは、できるかできないかで判断しないで、やるかやらないかで判断するということ。その判断が、自然と自分の背中を押してくれるんです」
村上茉愛さんに聞く“10代の頃何してた?”
Q.憧れていた人は?
アメリカの体操選手でショーン・ジョンソンさん。北京オリンピック(2008年)でもメダルを取った、強くてカッコいい選手です。その選手が得意としたのがシリバスという技で、こういう選手を目指したいと小学6年生の時に決心しました。パリオリンピックの会場でお見かけし、声はかけられなかったのですが、自分の目に直接その存在を映せてうれしかったです。
Q.楽しかったことは?
寝ることです(笑)。眠っている間は何も考えなくてよかったから。それくらい、体操は私の人生で寝ることや食べることと同じくらい大きかったんです。中学時代、同級生たちと休憩時間に鬼ごっこやサッカーやバレーボールで遊んだことも楽しかった。今でも毎年、みんなで集まるんですよ。
村上茉愛
さん
1996年8月5日生まれ、東京都小平市で育つ。3歳で体操を始め、14歳で全日本種目別選手権のゆかで優勝し脚光を浴びる。2016年のリオデジャネイロオリンピックでは日本女子の団体4位入賞に貢献し、翌年の世界選手権ではゆかで金メダルを獲得。18年は世界選手権個人総合で銀メダルを獲得。東京2020オリンピックでは、ゆかで日本の女子で史上初となる銅メダルに輝いた。同年の世界選手権のゆかで2度目の金メダルを獲得し現役引退。現在は後進選手の育成や体操の普及活動に取り組んでいる。
写真:吉原朱美
※この記事は『ETHICS for YOUTH』2024-25年冬号(No.8)に掲載したものです。