「ルール」と一言で言っても、その中身はいろいろです。法律、マナー、空気。どれも「ルール」として私たちを縛っているようでいて、どこから来たのか、誰が決めたのか、破ったらどうなるのかは、ずいぶん違いますよね。そして、最初は外から与えられたものでも、繰り返し従ううちに、いつの間にか染み込んでいく――それは、私自身?それともおしつけ? (堀越耀介)

 今回のテーマは「ルール」。
「ルールを守ろう」「ルール違反だ」と日ごろ何気なく口にしますが、4人の対話を追っていくと、「ルール」という言葉がいかにいろいろなものを一括りにしてしまっているかが分かります。

 対話のきっかけは、優先席の場面でした。アキラは「そう書いてあるんだから譲るべき」だと。でも、「お年寄り扱いされるのがいやで優先席に座りたくない」人もいる、というアイのエピソードは「ただそうすべき」を考え直す点で面白い視点でした。ルールの「利用者」が、そのルールを望まないこともある。これだけでも、ルールと「正しさ」の関係は簡単ではないことが見えてきます。

 そして話は、「法律」と「マナー」の違い、そして「空気」にまで及びます。その場で一人だけ違うことをすると、どこにも禁止と書かれていないのに「ルール違反」と感じる。注目すべきなのは、この3つの「重さ」が、私たちの直感とズレていることです。本来なら、みんなで決めた法律が一番重く、出どころのあいまいな空気が一番軽いはず。ところが、法律やマナーに「空気を壊したくない」が勝ってしまうことがある。ルールの正当性と、実際に人を動かす力とが一致しないというのは、実はとても恐ろしいことではないでしょうか。

 そして、4人の対話はもう一段深いところへ進みます。カイの「誰にも見られてないのに姿勢を正しちゃうことってない?」という問いです。ルールは、最初は外から来る。先生に言われる、親に言われる。ところが、繰り返し従ううちに自分の中に入ってきて、「普通」や「当たり前」になってしまう。そうなるともう外から強制される必要はなくて、私たちは自分で自分を監視するようになる。

 ここまで考えると、帰り道で見かけた「荷物を拾ってあげる男性」の意味も複雑になります。誰にも見られていない、褒められるわけでもない。それでもやる。アキラはそれを「ルールじゃなくて生き方」と呼びました。でも、その「こうありたい」自体が、小さい頃からの教えの積み重ねだとしたら、本当に「自分で選んでいる生き方」と言えるのか。でも、世間では、自分で自分の生き方をつくっていくのが大事だと言われますよね。

 その意味で、完全に「自分だけの意志」があるかと問われると、どうでしょう。ただ、カイの最後の言葉は一つのヒントだと思います。問うこと自体が、ルールからほんの少しだけ距離を取ることだということ。従うにせよ従わないにせよ、「なんでだろう」と一度立ち止まれたとしたら、そこにはちっちゃいけれど確かな自由がある。「ルールだから守る」と口にしそうになった時、少しだけ立ち止まってみること。「それは本当にルールなのか」「誰が決めたのか」「自分の当たり前にすぎないのではないか?」こうした問いを持てること自体が、ルールとうまくつきあう第一歩なのではないでしょうか。

作・監修
堀越耀介ほりこしようすけ
さん
東京大学UTCP上廣共生哲学講座 特任研究員。東京大学教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。専門は、教育哲学・哲学プラクティスで、特にジョン・デューイの哲学思想、「子どもとする哲学(P4C)」/ 哲学対話の理論を研究。実践者としては、学校教育の場から、自治体・公共施設、企業・社員研修まで、幅広く哲学対話や哲学コンサルティングを行う。著書に『哲学はこう使う―問題解決に効く哲学思考「超」入門』(実業之日本社)、『13歳からの哲学探究――自分を知るための問いと対話』(メイツ出版)などがある。

作・監修:堀越耀介 マンガ:佐倉星来