[ 特集 ]ことばを味方にしよう

小説からエッセーまで人気作を生み出す二宮敦人さんは、作家になりたいと思ったことはなかったと言います。運命が変わったのは、大学時代のある失敗からでした。

『天才たちのカオスな日常』が大ヒット

 「僕の妻は藝大生げいだいせいである。とにかく妻が、面白いのだ」
こんな書き出しで始まる『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』は、「芸術界の東大」ともいわれる東京藝術大学の学生たちを描いたエッセー。口笛くちぶえの世界チャンピオンや、40時間絵を描き続ける学生など、取材した芸術家の卵たちのびっくりエピソードをユーモアたっぷりに描いています。累計るいけい40万部を超えるベストセラーとなったこの本の作者の二宮敦人さんは、どのように本を書き上げたのでしょうか。

 「藝大について調べ始めたきっかけは、藝大の彫刻科に通っていた妻が面白かったからなんです。僕は『メモ魔』で、携帯のメモ帳に子供がこんなことをしたとか、妻がこんなことを言ったとかを常に記録しています。それが結果的に本の材料になりました。いい作品を書きたいからやっているわけではなく、面白いことや感動したことを保存しておきたくて書きとめているだけ。皆さんも面白いと思ったことをメモしておくといいかもしれませんね」

 二宮さんは中高一貫の進学校の出身ですが、中高生時代は「落ちこぼれだった」と振り返ります。

 「中学受験の時は塾に行って勉強していたんです。それが、合格して勉強をやめたら、あっという間に落ちこぼれになって。認めてもらえない、居場所がないと感じていて、ちょっとつらい高校生活でした。今この仕事をしているって聞いても、きっと誰も信じてくれませんよ(笑)」

 その頃の二宮さんを支えてくれたのが「文字」でした。詩集や図鑑、戦争体験記といった本に限らず、ペットボトルの裏の成分表示まで読んでしまうほどの「活字中毒」だったと言います。どうしてそんなに文字が好きだったのでしょうか。

 「文字は優しいんですよね。話し言葉では自分をうまく表現できなくても、書くことでは表現できるんです。僕はゆっくりしゃべるタイプ。友だちと話していて『お前、将来何になりたいの?』って聞かれても、『将来の定義って何だ?』『何になりたいって、今は人間だけど……』みたいに細かいところが気になって考え込んじゃう。

 会話のスピードは、僕にはちょっと速すぎる。でも、文字だったら、一回立ち止まって、整理して考えられます。学校ではしゃべるコミュニケーションがほとんどだと思いますが、社会に出るとほかにもいろいろな方法があります。だから、昔の僕みたいに話すことが苦手だからといって、コミュニケーションそのものが苦手だと思わないでほしいですね」

 大学では競技ダンスに打ち込んだ二宮さん。意外なことに、作家になりたいと思ったことはなかったと言います。

 「就職活動がうまくいかなくて、30〜40社も落ちたのかな。すると、だんだん社会に対する不満がたまってくるんですよ。その頃ちょうどケータイ小説が流行はやっていて、気をまぎらわすために電車の行き帰りに書き始めたんです。それが最初の小説でした。読者数が増えてくると、やる気も出てきて。もうちょっと書いてみようっていうのを繰り返していました。ある時思いついて、出版社に原稿を送ってみたら、話が進んで、デビューが決まったんです」

『最後の秘境 東京藝大 ―天才たちのカオスな日常―』
(新潮文庫刊)

ラブレターを書いてみよう

 『上手に文章を書きたい』と思う人は「ラブレターを書いてみるといい」と二宮さんは言います。

 「ラブレターを書くには、気持ちの強さが必要ですし、愛が強いほうが掘り下げられます。
『好き』と伝える時も、相手のどこが好きなのか。それが分かっているだけで、文章の勢いがまるで違ってくる。でも、好きっていう気持ちを上手に伝えるのは難しい。『キモッ』て思われたらアウトなので(笑)。だから、最初はさわやかに世間話から始めるとか、何十枚も書かずに数枚にするとか、工夫がいろいろ必要になってくる。小説も同じ。小説ってラブレターに似ていると思うんです」

 二宮さんにとって文章は「絵の具」と同じで、材料の一つ。「『こういうふうにるといいよ』というセオリーがあっても、素直に、自由に書けばいい」と言います。

 「文章って、書けば書くほど上達していくので、あまり難しく考えず、ひたすら書けばいいんじゃないかな。つまずいたとしても、こういうふうに解決したっていうスキルがたまっていきます。それに、ちょっと下手な文章にも人柄が出るので、無理に直す必要はないと思います。大切なのは、自分の思っていること、伝えたいことを文章にすること。『自分が何を伝えたいか』を深く掘り下げてみてください。

 誰にでも、面白かったり心がふるえる瞬間ってあるはずです。それが何であっても、引け目を感じる必要はありません。読書感想文だって、立派なことを書かなくてもいいんです。主人公のリュックサックの趣味が良いと思ったとか、『しかし』がすごく多いのに読みやすいと思ったとか。本当に何でもいい。それに自分は心を打たれたってことを表現できたらもう立派な感想だし、面白いものになると思います」

生きていくこと

 二宮さんがユース世代に伝えたいのは「生きびること」と「無駄に人を傷つけないこと」。

 「僕のホラー小説を読んで自殺を思いとどまった人がいるんです。その人はきっと死にたいくらい日々がつらかったと思います。でも、たまたま読んだ小説がちょっと面白くて、続きが気になるから死ぬのを先延ばしにして。そしたらいつの間にかつらい時期を抜けていたと言うんです。小説がそんなふうに、人に関わることもあるんだなと」

 「しんどい時があっても、とりあえず生きていればいい」と二宮さんは言います。

 「僕にもつらい時がありましたが、その時の感覚が今、小説で表現したいものになったり、つらい思いをしている人に『大丈夫だよ』と伝えるどうになったりしているんです。中高生の頃の自分や、就活に失敗した自分がなければ、きっと今の自分はありません。

 だから、自分が死にたいと思って、その反動で他人を傷つけたり、めつ的な行動を取らないでほしい。せっかくため込んだものを栄養にしてほしい。たとえ鬱々うつうつとした気持ちだったとしても、今を思いっ切り味わって、そしたらいつかいいことあるよって伝えたいです」

十代のみなさんへ

 子供は潜在能力において常に大人より勝っているというのが、僕の基本的な考えですので、偉そうに言えることはありません。しかし当時の自分を思い起こすと、まだ十数年しか生きていない皆さんは、視野が狭いおそれがあります。
 幸せに過ごすのが人生の目的だとすれば、人間の能力はその手段です。勉強ができるのも、運動が得意なのも、外見も性別も年収もみな自分を幸せにするための道具でしかありません。重要そうな道具が欠けていても工夫すれば幸せになれます。また、何十年も道具箱の邪魔者でしかなかったものに、意外な使い道が出てきたりします。長く生きて視野が広がるとそういうことが起きる、とお伝えしておきます。
 本は、僕の書いたものも含めて、無理に読む必要はありません。重要なのは、この世では本という選択肢が、他のたくさんの選択肢と一緒に、いつでもあなたを歓迎していると知っていることです。

二宮敦人

二宮にのみやあつ

1985年東京都生まれ。作家。一橋大学経済学部卒業。
2009年に『!』でデビュー。小説やエッセーなどさまざまな分野の作品を発表している。『紳士と淑女のコロシアム「競技ダンス」へようこそ』『最後の医者は桜を見上げて君を想う』『ぼくらは人間修行中』など著書多数。

写真:石山勝敏

※この記事は『ETHICS for YOUTH』2023年秋号(No.3)に掲載したものです。