16歳で日本代表入り、14年間なでしこジャパンの顔として活躍した岩渕真奈さん。2023年に引退してからは、スポーツの楽しさを伝えるための活動を始めています。努力とは「楽しんでいれば気づかずにやっているもの」と語ります。
サッカーが大好きで、自分の頑張れることが
たまたまサッカーだったんです。
サッカーが大好きで、自分の頑張れることがたまたまサッカーだったんです。
「サッカーが大好きで、サッカーで出会った人たちが大好きで、何より自分のサッカー人生が大大大好きでした」
10代の頃から14年間、サッカー女子日本代表“なでしこジャパン”の顔として活躍した岩渕真奈さん。これは、岩渕さんが昨年30歳の若さで現役引退を発表した時に、引退の意思と共にSNSに綴った言葉です。
「今も変わらずサッカーは好きですし、うまい選手を見るのは好きですけど、自分が全力でサッカーをするのはもういいかなと。選手時代はただ夢中でしたが、今振り返ると『自分、頑張っていたな』と思います(笑)」
うまい選手を見て、自分もああなりたいと思った
16歳で代表入りし、2011年には18歳でFIFA女子ワールドカップ優勝メンバーに名を連ねるなど、14年間で3度のワールドカップと2度のオリンピックに出場した岩渕さん。切れ味鋭いドリブルと、小柄ながら強烈なシュートを放つプレースタイルで多くの人を魅了。2021年の東京オリンピックではエースナンバー・10番を背負い、代表では通算37得点を挙げました。
幼い頃にサッカーと出会ってから、サッカー一筋の人生を歩んできたと語ります。
「マンガ『キャプテン翼』の有名なセリフ《ボールは友だち》ではありませんが、小さい時からボールは友だちでした(笑)。
サッカーを始めたのは、小学1年生の時。2歳上の兄(岩渕良太/FC琉球)が入っていたサッカークラブに母と行ったのがきっかけです。もともと身体を動かすのは好きでしたし、サッカーがすぐに好きになって。男の子に混じって試合に出ていました。学校が終わったらすぐサッカーで、帰宅が夜遅くなるので午前中には寝ていたりしていて、思い出は正直言ってあまり残っていません(笑)。
10代の頃はとにかくサッカーに夢中で、楽し過ぎてたまらなかったです」
それほどサッカーが楽しかったのには理由があったと言います。
「まずは、小さい頃から得点を取るのが好きだったこと。そして、中学生になってから初めて、なでしこジャパンのうまい選手たちを見て、目標ができたことですね。自分もああなりたいから、もっともっと頑張ろうと思えたんです。
日テレ・メニーナという日テレ・ベレーザの下部組織に所属していたのですが、初めてベレーザの試合に出させてもらった時は、仲間から対戦相手まで全てが衝撃的でした。代表に入ってからも、いつも一番若かったので、先輩たちに助けてもらったし、本当にかわいがってもらいました。そういう環境があったから、自分のプレースタイルも磨かれたのかもしれません」
目標ができたから
サッカーが
より楽しくなりました
海外の選手生活で大きく成長
2012年には、ドイツへ渡り、ブンデスリーガのフォッヘン・ハイム、バイエルン・ミュンヘンへ。2017年以降もイングランドのアストン・ヴィラ、アーセナル、トッテナムなどでプレー。10代から海外のクラブで選手生活を過ごしたことも、かけがえのない経験になりました。
「日本のリーグで、ある程度できるようになったという感覚が自分の中にあったので、海外挑戦を決めました。言葉も全く分からないところからのスタートでしたが、夕方に練習するチームだったので、昼間はドイツ語の学校に行って勉強しました。でも、海外の仲間たちとのサッカーが楽しくて、大変なこととは思いませんでした。海外では、サッカーを通していろいろな国のいろいろな人たちと関わらせてもらい、自分自身が成長できました」
「天才型」と呼ばれるプレーヤーだった岩渕さん。“根性”という言葉とは縁がなかったのでは?
「根性という言葉が当てはまるかどうかは分かりませんが、自分を追い込むような練習をすることもありました。上の選手と一緒にやる時は、技術も足りなかったので、自分を示せることといえば頑張って練習すること。そういう意味では若い頃は泥くさく頑張っていたと思います。
でも、努力の仕方は人それぞれ。だから人に努力しろとは言いません。上を目指すなら、自然と努力すると思うからです。最近、子どものサッカースクールで教えることがあるのですが、サッカーに限らず、まず楽しいことを見つけてほしいですね。楽しいことなら、知らず知らずに努力しているものだからです。
選手時代の私のテーマは、サッカーを楽しくやることでした。自分自身がサッカーを楽しくやれたらチームにも貢献できるし、結果につながるという感覚はあったと思います。
痛いことも苦しいこともあるけれど、それを含めてサッカーが好きで楽しい。そんな気持ちでした」
楽しいことなら
自分でも気づかぬうちに
努力しているもの
スポーツで世界を広げよう
「スポーツを職業にしている人に、根性のない人はいないと思います。私も今なら、自分ができる全てをぶつけられる自信があるかな。サッカーを通じて、“やりきる力”を学ばせてもらいました」
「サッカーとは自分を育ててくれたもの」と言う岩渕さん。
「私の友だちの大半はサッカーを通してできた友だち。今はレスリングの登坂絵莉さん、テニスの穂積絵莉さんとスポーツの楽しさを伝えるために一般社団法人を立ち上げていますが、彼女たちともサッカーを切り離しては出会えなかったと思うんです」
最後に、岩渕さんから、中高生の皆さんへメッセージをいただきました。
「スポーツが苦手な人でも、今は身体を動かさなくてもできる種目もあるし、始めてみたら、きっと世界が広がると思います。
勝ち負けより楽しいことってたくさんあるし、スポーツをすることで増える仲間って絶対にいます。それは敵かもしれませんが、たとえ敵であっても、敵がいることで成長につながります。スポーツは人生の中で必ずプラスをもたらしてくれるので、楽しんでやってもらえたらいいなと思います」
Q.日本代表の14年間で忘れられないゴールは?
準優勝した2015年のワールドカップの準々決勝オーストラリア戦で挙げたゴール。途中から出たのですが、こぼれ球をゴールして1-0で勝った試合です。その大会はケガでギリギリ連れていってもらい、チームに迷惑をかけていた中で、初めてそのチームに貢献できた瞬間でした。ワールドカップでの初ゴールでもありましたし、それはうれしいゴールだったなと思います。
Q.オリンピックの楽しさって?
ロンドンオリンピックは準優勝したのですが、正直、プレッシャーは大きかったです。振り返ればですけど、海外の有名選手や、別の競技の日本の選手たちと選手村の食堂などで会ったり、オリンピックならではの雰囲気を味わえて楽しかったし、経験できてよかったと思います。選手の皆さんは、自分を信じて楽しんでほしい。私ももう一度行けるなら、やっぱり行きたいなと思います。
岩渕真奈
1993年生まれ、東京都出身。中学進学時に日テレ・メニーナ入団、14 歳でトップチームの日テレ・ベレーザでなでしこリーグ初出場。ドイツ・女子ブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘンでリーグ2 連覇に貢献。INAC 神戸レオネッサ、イングランドのアストン・ヴィラWFC、アーセナル・ウィメンFC で活躍。
日本代表では2011年ワールドカップ優勝、2012 年ロンドンオリンピック準優勝、2015 年ワールドカップ準優勝、2019 年ワールドカップ・ ベスト16 に貢献。著書は『明るく 自分らしく』。
衣装協力:DENHAM 写真:吉原朱美
※この記事は『ETHICS for YOUTH』2024年夏号(No.6)に掲載したものです。